一部のニュースで流れていましたが、文科省の中央教育審議会が、大学院博士課程での徒弟制度(院生が一人の教員に師事する制度)や5年間の博士課程での修士論文の廃止、などの大学院教育改革策を答申したそうだ。
徒弟制度の廃止、って何だろう?って思ったけど、博士課程の院生が1つの研究室に属して1人の教員から指導を受ける現行制度からの転換、だそうで、複数の教員、研究室で指導を受けるようになるらしい。
要するに、狭く深くではなく広く浅くってこと?
修士論文を無くすっていうのも、どうやら課程の途中で専門を限定するようなテーマを与えない、っていうのが目的にあるみたいだ。
うーむ、ようするに博士と言ってもなにか専門分野に深い知識をもつ人材ではなく、特に専門を設けずに広く(でも相対的に浅くなるけど)知識をもつ人材を育成しようということか。
これ誰が言い出したのかわからないけど、正直ここまで学生を信じて良いものだろうかって気がする。
指導教官をひとりに絞らないということは、逆に教員の側から見たらその学生に何の責任も負わなくて良いっていう、つまり自分の研究室の学生というより自分の講義を聴きに来ている一学生というスタンスで接すれば良いということで、学生の側が相当賢いとか知識がないと、中途半端な何もできない博士様の出来上がり、になるような気がするのだけど。正直、文系の学問は深みなんて全くないから(暴言失礼)それで良いのかもしれないけど、理系の学生だったらこれではだめなんじゃないの?
近くにある研究室いくつかに所属するといった場合、自分の過去をちょっと思い出してみると、
例えば有機化学、細胞生物学、磁性理論、情報理論、なんて研究室があってそれを掛け持ちなんてしても意味ある知識が身につくとは思えないけどなぁ。
もう少し分野が近いとしても、高エネルギー物理学、流体力学、格子理論、スピングラス、なんて研究室に所属して一体何の研究をするのだろう?そもそも理系の場合、同じような分野の研究をしている研究者が同じ大学に一体何人いることやら。自分の研究分野だと同じ大学に2人いればかなり珍しい位だ。
学生のうちにいろいろな分野のお勉強をするのには大賛成だけど、研究室まで分散して所属なんて馬鹿なことはしないほうが絶対に良いと思う。
自分は割と自分の専門分野以外の知識もあるほうだと思うけど、そういう知識はちゃんと自分の専門分野の研究室に所属した上で、学部や学科共通の喫茶室みたいな共同の部屋や麻雀部屋みたいな部屋に学生同士で集まった時にいろいろ雑談をしたり、論文を教えてもらったりして覚えたのだ。サイエンスに関しては、まず誰にも負けない自分だけの専門分野というのを構築した上で他の分野の知識を深めていかないといけないと思うのだけど。他人に負けない自分だけの専門分野を持たない博士様なんて、広く浅く知識のある池上彰氏みたいな物知りでしかないと思うなぁ。TVに出たりするならそれで良いのだろうけど、少なくともプロの研究者とは呼べないと思うが。
それよりも日本の大学や大学院に必要なのはプレゼンテーションのレクチャーとか、論文とか文章のスタイルのレクチャーのような気もする。それに何といっても日本の大学/大学院の教員は教育という点で落第な人が多すぎるよね。ちゃんと真面目に学生の指導をしている人の評価が高くなかったりするから、誰も本気で学生の指導なんてしようとしない。それにタチの悪い教員はろくに指導もしないのに、自分の評価の為だけにたくさんの学生を自分の研究室に取ってろくに指導もしないで適当に単位を与えて卒業/修了させているし。こういうある意味「テキトー」な指導を無くすためにも、教員の評価を研究室の卒業生の評価で決めるのが良いと思う。優秀な卒業生を輩出している研究室の教官にはもっと良い評価を与えるべきだし、カスカスな学生しか輩出していない研究室は潰しても良いと思うけど。
まぁ実際に酷い教員が居るっていうことは大抵の人が知っていると思うけど、教育に関しての評価が現状かなり不公平だと思うので、徒弟制度の廃止なんて戯けた事を言う前にもっと根本的なところを変えていくべきだろう。
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