昨日(2012年8月3日)、夕ごはんを食べに入った食堂にたまたま毎日新聞があって
それを読んでいたのだけど、そこに麻酔科の研究者の書いた過去の論文の大半が捏造であった
という件の新聞記者のコラムのようなものが載っていて、なかなか興味深かったし思う所あって
ブログにも書こうと思った。
その研究者というのは、調べればすぐわかるが、元東邦大准教授の麻酔科医・藤井善隆氏とのことだ。
正確な数字は覚えていないので、ちょっと調べてみたら過去の論文212本のうち少なくとも172本にデータ捏造
という事なので、ほとんど捏造データで論文を書いてきたという事だろう。
なお、現在のところ本人は捏造に関しては否定しているとの事だが、まぁイギリスの研究者の指摘を見ても
調査結果を見ても真っ黒だと思われる。
例えば毎日.jpのこの記事とかを参考。
http://mainichi.jp/select/news/20120630k0000m040061000c.html
さて、自分が読んだ新聞のコラムに書いてあったのだが、このような捏造は珍しくないとか
論文を書く能力もないのに教授になった人間などいくらでもいる、という記述に関して
その通りだなぁ、と頷くしか無かった。
なかで研究者の間で普通に行われている、という論文への名前貸し、という行為だが
これをやっていない者は現在はほとんどいないのではないだろうか?とも思われる。
実際に自分も、他人の書いている論文を読ませてもらう機会があって、ちょっとコメントしたら
共著者にしても良いか?などと聞かれたりした。載せてもらったら、今度は自分がファーストオーサーで
書いている論文に相手も載せたりするのだろう。
自分の場合、丁寧に断ったが仮に4人の共著者の論文を書いたとすると、
自分がファーストオーサーの論文が1本に加えて、共著者として載った論文が3本、合計4本の
業績のできあがりだ。実際、研究室や研究グループ単位で、論文を書く際には
必ず共著者にグループの研究者を入れろ、と指示されている所もかなりあると聞く。
要するに研究室の教授やグループリーダーの研究者が、研究グループでの業績の嵩上げの為、
ひいては自分の学生の業績を数の上で上げるために行なっているのだろう。
研究の共同研究者とはどういうものなのか?とか、共著者に載せても良い研究者の
ガイドラインなど全くないのだから、明らかな不正とまでは言えないのだが、
自分の行った研究になんの寄与もしていない人間を論文の共著者として載せることに
抵抗はないのか?と思うが、ポスドクなどは就職の為にも業績数を増やしたいという思いが強く
まさにギブアンドテイクでそういうグレーゾーンに手を染めてしまっていると思われる。
研究者の業績を審査する場合に、その尺度として論文数というものがある事がこのような
事象を行わせている原因の一つだが、それでは論文数という尺度をやめて内容で審査したらどうか?
と思われるが、毎年大量に生産されている論文は99%以上が他の研究者にはほとんど読まれないし
数年後にはゴミの価値しかないようなものなのだから、仕方がないのだろう。
まぁこれは、自分の感想で実際に重要な論文はもっとある、という人もいるだろうけど。
有名な雑誌に乗っているバイオ系の論文を読んで驚いたことがある。
グラフをプロットするのに、数点しか測定値がなく、それで統計解析までやってしかも
グラフの関数まで推定していた。というか、そういう論文がほとんどなのを見て
「なんだこれは?」と驚いたというのが実際なのだが。
嘘だと思うなら、レベルの高い学術雑誌の一つPNAS http://www.pnas.org/ あたりで
バイオ系の論文をちょっと眺めてみればよい。OPEN ACCESSと書かれた論文は
誰でも読めるはずだ。
知人の生物学者に、データの数についてちょっと聞いてみたところ、
いかに生物実験ではデータを取得するのが大変か、という事を
滔々と説明された。その話を聞いて、ようするに「科学的に妥当なデータ」を
出さないと論文が書けないなら、生物系ではほとんど論文が書けない、という
事なのだろう。実際、生物系の論文は99.999%以上がゴミだ。個人的な感想なので、念のため。
さて、科学論文の捏造に関する問題だが、じつは上で書いた事にも絡んでくると思われる。
というのは、上に書いたように、研究者の業績として論文の数が必要、である点から
バイオ系の研究者は山のように論文を書く必要がある。
その為、倫理的にグレーな、論文へのお互いの名前の載せあいっこ、などが横行する。
特にポストが少ない現状、ポスドクなどはそのボスが指示したなら喜んで従うだろう。
さて、そんな風に皆が山ほど論文の大量生産を始めると、論文数で差をつけるには
かなりの研究センス、または研究者の知人が必要になるだろう。
ゴミみたいな論文でも、一応それなりの新しいデータが必要な訳だから。
頑張って研究しても、良いデータの数がなかなか増えない場合、どうするか?
おとなしく諦めるか、それとも「捏造」だろう。研究で成果をあげなきゃいけない
ポスドクなどは特に捏造することに対するハードルが低いかもしれない。
捏造しないと無職なのだ。
件の藤井善隆氏で捏造と判定されたのは1991年からの論文であるから、
まさに就職のため、出世の為にやり始めたと言っていいのでは無いだろうか?
万人に対する普遍性が科学の特徴なのだから、そんなに簡単に捏造なんてできないのでは?と
一般の人は思うかもしれない。今回の藤井善隆氏の件を見ても、
他に全く同じ研究をしている研究者がいない、あるいは少ないという条件に加えて
それらしい予測されるような妥当な結果であればデータの捏造は簡単だということだ。
そういう論文は、つまりは誰にも注目されない屑論文といっても良いだろうが、
このようにして出世していまでは偉くなっている人間が少なからずいるだろう、という所が
研究業界の真っ黒なところなのである。
あとは捏造の線引きだが、今回のケースのように患者がいないのに、
仮想の患者をでっちあげて論文を書く、という稚拙な捏造はバレてしまうが、
バレるのがかなり困難なプチ捏造とでもいうような手法も存在する。
実験をしている知人の研究者にも聞いたのだが、実験で得られた測定値を
用いてグラフを作成したが、1、2点のデータを無視すると、非常に綺麗な
グラフを描ける事がわかった場合、人によってはその「余計な」データを
論文に載せないで、綺麗なグラフを描くらしい。
そこまでではないにしても、実験で得られたデータを取捨選択して
論文を書くのは普通の事らしい。こういうのは捏造といえるのだろうか?
科学者の立場からいうと、データを捨てるにはそれなりの理由が必要なのだが
論文になった段階でデータを捨てたなどと論文中に書いていなければ、他の誰にも
わからないという訳だ。
実はそうやって主観的にデータを捨てたおかげで、本当に重要な発見を
見逃している可能性もあるのだが。
こういう事情を知っていると、バイオ系の論文を読むときにはデータはあまり信用しないで
読むようになってしまう。
結局、最後にモノを言うのは研究者個人の倫理観なのだが、就職しなければ
無職になって生活できないポスドクが捏造するというのは、本来ボスが
きちんとチェックするべき事で、今回の藤井善隆氏の件でも、捏造判定の論文に
一番多く共著者として載っていたのは、おそらく筑波大学時代のボスらしい。
数も100本以上の論文を共著者として書いていたとの事だ。
ここで、強く主張したいが、100本も捏造論文に共著者として関わった人物を
そのまま何の罰則も与えないで放置することは、研究業界として決して許されないと思う。
本人は全く知らなかった、などと言うのだろうが、共著者として論文に名前を載せるというのは
本来同じ船に乗って沈む場合は一緒という厳しさがなければいけないはずだ。
この共著者の元ボスの名前は調べたがわからなかったが、捏造の共犯として
それなりの罰を受けなければ絶対におかしいし、このような不正はなくならないだろう。
なお、幸いな事に自分の専門である数物系の理論は捏造に関してはクリーンであると
言ってよいと思う。まぁ捏造してもすぐバレるからというのもあるだろうが。
医学系と違って、それほど出世欲の塊みたいな人がいないというのも
良い点なのだろうか?おかげで研究費はとても少ないのだが。