ポスドク問題を端的に説明すると、大学院を出て博士号を取得したのに
就職先が無い、という問題だ。ポスドクというのは言ってみれば期限付きの
ポストで、3年とか5年という期限のみの雇用であって、いわゆる企業における
正職員とは異なっている。つまり、高学歴ワーキングプアとでも言うべき問題なのだ。
このような問題が出てきた背景には、旧文部省がポスドク10000人計画、などと
称して、欧米並みに高度な専門知識を持った博士号取得者を生産すべく
大学院を拡充して博士号取得者の数を増やそうとした事に始まる。
1990年頃を境に、どんどん大学院の学生の定員が増やされ、博士号取得者の
数が増えていったのだが、それに対応するアカデミックなポスト、つまり
就職先が提供されないので、職にあぶれる者がどんどん出てきたという訳だ。
この問題は、文部省がポスドク10000人計画などという無謀な事を
やり始めた時から予想されていた事であって、近年急に生じた問題では
無いことを言っておく。当時は企業などが専門的知識を持つ
博士号取得者をどんどん採用するだろう、という予定だったようだ。
自分の考えだが、このような事をやったのは専門的知識を持つ人材を
増やしたいという側面よりも、学生の数と「失業者候補の受け皿」を増やして
失業率という見かけの数字を上げないためだと思う。
さて、ここからはリアルな話に移ろうと思う。念の為に書いておくと、
以下はあくまで自分の経験に基づく話で、一般全てに当てはまるわけでは
無いことを
世の中の論調では、博士号まで取得した優秀な人材が就職先も無くて
困っている、彼ら彼女らを活かすためにも国としてなんとかせよ、という感じだろう。
確かに優秀な人材が活躍の場も無く埋もれているのは国としても損失であろう。
しかしそのような優秀な人材なのに、なぜ企業は採用することを躊躇するのか?
結論から言うと、定員をどんどん増やして工場のようになった大学院から
大量生産された博士号取得者の能力はそれほど高くないのである。
というよりむしろ「使えない」と言ったほうがいいかもしれない。
自分も何人ものポスドクと話す機会もあり、またいろいろ研究の相談も
受けているのだけど、正直言って研究者としてモノになりそうな
資質を持つ人間は10人に1人もいないと言って良い。
研究者として独り立ちしてやっていくには、問題をスマートに解いていく
高い能力が必要なのはもちろんだが、何よりも重要なのは「自分で問題を設定する」
という能力だ。どういうことかというと、科学界で未解決な事柄があった場合、
まずはそれを解くべく問題設定をする必要がある。さらに、他の研究者との
コミュニケーション能力も必要だ。正直、この現代において昔の学者のイメージよろしく
1人でコツコツ研究して解ける問題などかなり限られているし、さらに人並み外れた
能力が必要なのだが、10年に1人いるかいないかといったところだろう。
ポスドクに研究に関していろいろ相談される事が多いので、自分なりに
こういう問題を解いたら良いのでは?とヒントとかアドバイスをするのだが、
学生ならともかく、学位を取った博士がする質問としてはかなりレベルが低いと
言わざるを得ない。何をやったら(研究したら)良いのかわからない、という
ポスドクが多すぎる。これも大量生産の故、指導教官に与えられたテーマを
シコシコやってきてようやく博士号を取り、研究界に放り出されてはたと立ち止まると
何をしていいやらわからない、という人間が多いのだ。
研究者はそれぞれ研究者になった理由というか、ライフワーク的な研究テーマが
あるのが普通だと思っているのだけど、そのようなポスドクに「君はライフワークで
どんな事を知りたいと思っているのか?」と聞いても、答えられないか、目先の
小さなテーマしか答えられないポスドクばかりだ。問題が与えられないと
何もやれないような人間は、企業としても「使えない」というのが本音だろう。
大学院の学生を見ていると、小さな頃から上の学校へ進学する事で親などから
賞賛されてきて、なにか研究したい対象がある訳でもないのに、大学を卒業したら
その上の学校である修士課程、さらに博士課程、と何も考えずに進学する人間が
結構多い。そのようなタイプはたいてい学位を取る段階でテーマが決められずに悩むか
あるいは指導教官にテーマを与えられて学位論文を仕上げても、所詮は与えられたテーマであり
凡庸なものしか書きようが無い。その結果、ポストが無いのは当たり前なのだ。
しかし今の世の中、失業者を増やさないためか期限付きのポスドクという
ポジションは探せばわりと見つかるのである。ストレートで学位を取得して
27歳、そこから5年のポスドクを2回やるともう40歳近くなる。
その頃になって初めて自分の置かれた状況に気が付き、あるいは焦り始める
ポスドクが非常に多い。さらに悪いことに、そのような状況になる人間は
漠然と自分は優秀である、と勘違いしていて大学などのアカデミックな職以外は
就職の対象として見ていないから目も当てられないのだ。
自分の経験だと、有能な人間ほど大学院に進学しても修士課程で一流企業に
就職し、さほど有能でもなく「上があるから進学する」タイプの学生は
特攻するように博士課程に進学してくる。こちらがアドバイスしても
全く聞く耳を持たないのが後者のタイプで、研究テーマや就職先(アカデミックな)に
ついて泣きついてくるのも後者だ。仮に自分が企業の人間だとしても、こういうタイプは
雇えないと思う。
なんだか長くなったが、学校を出れば就職先があるなどというのは幻想であって、
競争社会のこの世の中、能力のないものがポストを得られないのは当たり前の事だと思う。
それに対して国がなんとかしなければならないとしたら、根本的におかしな事になると思う。
日本の社会の特徴は、大人なのに子供扱いする、過保護というか社会保障という
名のもとに社会主義的な思想でダメ人間の世話をする風潮があるが、そういう調子だkら
経済でも政治でも世界で3流の国に成り下がり、リーダーとしての良い資質を持つ人間が
育たないのだと思う。使い尽くされた言葉であるなら「自己責任」が無い子供社会なのだと
思う。大人というのは、自分の行動に対して責任を持つのが当たり前だろう。
だからこそ物事に対して一生懸命になれるし、そうすることでリーダーとしての資質である
責任感も育つのだと思う。ポスドクに限らず、政治家も官僚もみんな無責任なのは
こういう日本の社会風土の賜物だと最近つくづく感じた次第である。